もうすぐ五十歳、いわゆる「知命」を迎えるから。

 

穂花は、

リビングウィル…尊厳を保って死を迎えるために希望する事柄を。

 

判断力が自分のなかにあり、

意識が清明な状態のうちに文章にまとめて、

羅列して明記し部屋の冷蔵庫に貼っています。

 

 

 

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一人ひとりの人生に対する価値観、そして死生観が異なっている以上、

それぞれに「尊厳死の条件」は違ってくるでしょう。

 

――大切なポイントは、

それらの希望が…自身の判断力は衰えていないうちに遺されること、

はっきり「自分の意識が清明なうちに自らの希望でまとめた」ものだと。

 

 

本文中に明記されていること。

 

さらには「無駄な延命処置を希望しない」場合に、

施されたくない処置の内容についてきちんと挙げられていること。

 

単に「延命治療は要りません」だけでは、

ご本人がすでに意識がない場合や、

病気などで正常な判断力が損なわれている時には…

 

文書として遺されても功を奏さないばかりか、

余計に揉め事を引き起こす原因にもなりかねません。

 

 

 

穂花は基本的には、

自身の死期に当たって過剰な医療の介入がなされて欲しくありません。

せいぜい余り痛くなくて苦しくなくて…

大して怖くなかったらいいな、ぐらい。

 

つまり「自然死」を最も望んでいます。

 

 

それらの想いを踏まえて。

自分の希望する死にざまと、

自身の望む死の実現に向けて対応いただきたい点をまとめて。

 

 

――以下は実際に穂花の部屋の冷蔵庫に貼ってあるもの。

自身の死期が迫った折の対応として。

穂花の希望は次の通りです。

 

自然死を強く望む私からのお願い(Living Will)

 

万一私が病気や事故によって、不治の状態に陥り、死も迫って生命維持装置等がなければ生存困難な状況にあり、且つ意識不明の状態もしくは正常な判断力が失われた場合には、以下の対応を強く希望いたします。なお、これらは私の意識が清明であり、健全な精神のもとに自分自身について判断出来る時に書いたものです。

私は自然死を強く希望しており、自身の死期に当たって過剰な医療の介入を望んではおりません。ただし、私が痛みなど激しい苦痛を訴えた場合に限り、痛みの緩和については出来るだけの処置を施していただきたくお願い申し上げます。

 

  • すでに私の意識がない状態であれば、できる限り救急車は呼ばないでください。
  • 脳そのものに損傷が認められ、回復が認められそうにもない場合には開頭手術は辞退させていただきたくお願いいたします。
  • どのような場合においても、心停止してしまったら一切の蘇生術を施さないでください。
  • 気管切開、人工透析、輸血、過度な抗生物質の投与はしないでください。
  • 私は経口摂取が困難になった時点で、寿命が尽きるのだと思っています。従って人工的に水分補給や栄養補給を施すことはしないでください。

具体的には中心静脈や末梢静脈への点滴、大量の皮下注射、鼻チューブや胃瘻を作っての経管による栄養摂取を一切希望いたしません。

  • 人工呼吸器は着けないでください。

万が一私の意に沿わず人工呼吸器を装着された場合、回復の見込みがないと医師が診断、判断を下した時点で装置を外していただいて一向に構いません。その対応について、私は現在もそして将来においても一切の異議を唱えません。

 

 

上記については私が私自身の意志によって希望いたす手前、私の希望通りの処置がなされた結果、万一私が何らかの不利益を受けることになろうとも、その全責任は私の上にございます。

併せて、これらの措置がなされる際、私にはもう自身の意思表明すら困難になっている状況だと思われます。

それにも拘らず私の生前の希望を尊重し、私の要望を忠実且つ誠意を以て実行に移してくださるであろう関係者各位に対しては、心からの感謝を申し上げたいと思います。

 

(このあと記述した日付←毎月1日に一応見直し、適示更新しています…

さらに穂花の戸籍上の本名の署名捺印)

 

 

 

 

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これって。

そりゃあ…賛否両論あると思うんだけど。

 

自分の望む死を考えるってことは、

同時に自分の生を考えることだと深く思わされるよ。

 

ともすればのんべんだらりと惰性で繰り返してしまう日々を、

本当は限りある人生の時間だと…

 

ただ、日常生活に紛れて、

私たちは大切な真実を忘れてしまっているだけなんだと…

 

 

いい意味で限りある人生を考えるきっかけ作りに、

そして自分のだらけがちな日常に喝を入れるために。

 

…穂花的にはお勧めだよ。

誰だっていつか死ぬんだよ、死だけはすべての上に平等。

 

だとすれば死を考えることはもはやタブーなんかじゃない。

縁起悪いことなんかじゃない…

むしろ、今日を間違いなく生きている証拠。

そう穂花は受け止めています。