穂花です。

個人的にいろいろ想い悩むことが続いたのもあって…
Kindleを使って療養中のベッドでヴィクトール・フランクルを読んでいます。

高校の倫理社会で手にはしたものの読破ができなかった「夜と霧」からスタートし。

二冊目「<生きる意味>を求めて」を経て、今は三冊目の「意味による癒し」に挑戦中です。

たぶん…十代の時にはさっぱりイミフだった「夜と霧」が、しかし読み通せたのは。
当時より私が賢く聡くなったというよりは、
オバサンになって年齢を重ね、それなりに人生を経験を積んだおかげ。

「夜と霧」で描かれる極めて厳しい逆境下で、それでも生き抜いた人たちの「使命」について、
引き続く「意味による癒し」のなかではさらにこう語られます。

…人間が本当に必要としているものは緊張の無い状態ではありません。
その人に相応しい目標のために努力し苦闘することなのです。
「意味による癒し」V・フランクル

フランクルの思想は「高層心理学」と呼ばれているんだそうです。

人間はその人に与えられたもっと崇高な目標を達成するために、もっともっと高みを求めて生きなければいけない。

――哲学がご専門の方には笑われそうな稚拙な解説ですが。

フランクルの思想を穂花自身の言葉で一口で説明すればこういう感じです。

だけど…人間の生のリアルは、理想だけでは語れない醜さがあるから。
生きていく上では綺麗事では説明できないから…

繰り返す日常の狭間のどうしようもない涙や溜息や悲しみや怠け心や猜疑心や…

そんなネガティブな諸々に崇高な目標もついくすみがちです。
理想は翳りがちです。

フランクル自体、その理想主義的な思想が相当に批判を受けた人物なのだそうです。
解釈次第では非現実的すぎると見做されて、
師であるアドラーには破門されてしまったり。

でも…つらいことを経験するとフランクルを読みたくなるという人は多いとか。
穂花も然りでした。

アウシュビッツの強制収容所を体験したフランクルは、
その過酷な日々のなかに人間の醜さや弱さの極致を見まくりました。

人間の醜さや弱さをフランクルは「(人間が)悪魔になる最悪の形」と表現しました。

だからこそ彼はこう言うのです。

…高い欲求や目標を含む「高いレベル」で自分自身を見る経験をしない限り、
人間もまた本来その人が持って生まれたであろうレベルよりも、
低いところに堕ちて落ち着いてしまうものである。
「<生きる意味>を求めて」V・フランクル

言い換えれば。
人間は弱くて醜くてすぐ楽なほうに流れてしまうからこそ。
意識して高い目標を設定し、高いところを目指していないと人としての本質を見誤るのです。

でも、穂花はこの言葉からこうも思いました。
もしかしたら(穂花的解釈だから…もしかするのね)ですが、このフランクルの言葉は。

なりたい自分をイメージして目標設定することによって、
目指す自分に近づいていける可能性が(必ず)ある…事を示唆してるって。

そう思えている自分の心の健康さに感謝したいです。

フランクルの経験した強制収容所の地獄と穂花の抱える傷みは比較できないちっぽけさだし、
冴えない穂花の存在ではあるけど。

それでも自分のなかの最善を希う穂花でありたい、あり続けたいな。

…人間らしい人間=いい人は少数派。
でも、私たち一人ひとりがその少数派たる「いい人」を目指して日々闘っている。
「<生きる意味>を求めて」V・フランクル

二年前の今日起きた出来事は。

まさにフランクルがいうところの、
人間が「悪魔になった最悪の形」が引き起こした惨事でした。

どんな理由があったにせよ。
ひとが自由に生きていく権利としての生命を、
奪う行為が許されることは決してありません。

それについて犯人の凶行は絶対に許すわけにはいかないし。

まだ凶行の理由が何ひとつ解明されていないうちから、
事件が風化していくことを私は心から危惧します。

ここで私自身の記憶に触れます。

二年前の事件当日、私自身は未明から盲腸炎の症状を呈して町田市民病院の救急外来で処置を受けていました。

…点滴でうとうとしかけた頃、周囲が急に騒々しくなりました。

何が起こったのかわからないうちに、大けがをされた方が立て続けに二名、
救急搬送されてきました。

看護師さんが「穂花ちゃんは気にしなくて大丈夫、見ちゃダメ」とおっしゃいました。
その言葉から余程のことが起きたのだということだけは察しがつきましたが…

のちに事件の全容がわかって…
被害のひどさがわかればわかるほどに私は言葉を失いました。

その後一週間くらいは(意味もなく)私は不調に陥りました。
盲腸の炎症の影響だけが原因だったのではありません、自分の身近でこんな怖い事件が起きた現実が…

私自身も最重度の障害者であり、もう恐怖という言葉では説明ができませんでした。

住んでいる町田市の隣の相模原市で起きた事件でもあって、
地元でもいろんな噂話が交錯したこともさらに障害当事者の私を不安に陥れました。

フランクルの話に戻ります。

人間は目先の現実に一喜一憂しているだけではすぐに堕落します。
目先の利益に囚われて心乱していては、すぐに人間としての本質を見失います。

誰もが悪魔に魂を売ってしまう可能性を隠し持っています。

でも、同時に私たち一人ひとりは最善を求め、いい人として崇高な目標を達成すべく闘う存在でもあるのだから。

最善を願い続け高みを目指せる可能性だけは一人ひとりが心に秘めているのだから。

崇高な目標を達成すべく闘いましょう。

いい人になりたい理想を語れば語るほど笑われバカにされるけれども。

それでも理想を願って高みを目指しましょう、
誰もが自分らしく生きられる、誰もが尊重される社会の実現のために。

決して弱くて悪い奴ばかりじゃない。社会には「人間」には、必ずいい人もいるのだから。

重度障害当事者として今日、私は病床で決意を新たにしています。

最後になりましたが、凶刃に生命を落とされた十九名の方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
被害に遭われた方々、関係者の皆様の一日も早い心身のご快復を、
併せてお祈りいたします。

前田穂花