穂花です。

「お知らせ」のページにもアップした通り、
現在の穂花は都内の病院で精密検査を受けつつ加療中です。

主治医の見立て通りであれば、過去には美空ひばりさん。
最近では堀ちえみさんや坂口憲二さんが闘病された難病と同じ指定疾患を発症した…事となりますが。

当時、今の穂花と同じお歳でいらしたひばりさんが闘病されていた頃に比べ。
三十年が経過した現在はエビデンスに基づいた治療法もそれなりに見つかりました。

医学は日進月歩。
まだまだがんばってみせます。

激痛で夜も眠れないほどですが。
逆をいえば睡眠さえ担保できれば、まだ大丈夫な自分なんじゃないかな。

その辺りは外科的な治療をお願いしている主治医のほかに、
精神科の先生や心療内科の先生にも治療をお願いして対処しています。

何より、病気の時こそ本当の自分の強さが問われるのだと思うから…

つらくないといえば嘘にはなりますが、
この試練を超えたらもっと新しい私が待っているんじゃないかしら。
そう信じてがんばっています。

本格的な闘病生活に入る前に…ある種の「虫の知らせ」っていう奴だったのかな。
穂花は自身の持ち物をかつての四分の一以下に減らしました。

個人的に特にがんばったのは和服の処分です。

かつてはきもの好きが高じて、
独学で着付けの師範まで手にしたほどの穂花ちゃんでしたが。
着付けができても、車椅子生活ではきものなんて着られるものでもないから…

袖を巻き込むため、車椅子の自走ができなくて和服では単独での外出自体困難なため、
確かに未練はありましたが、すべて入り用の方に差し上げました。

つらくて少し泣けましたが…
生きていくことは変化を受け容れることだと自分に言い聞かせました。

他にも…
撮影に使用した穂花の衣装を中心に着るものを本当に大胆に手放しました。
ミニマリストほのか(笑)。

残念ながら現状は寝て過ごす場面のほうが多い今の穂花には。
多少の普段着とあとはお寝間着があれば十分。

元気になったらまたいっぱいライティングして。
得た稿料で好きな服をバンバン大人買いしてみたいものです。

デブ…もとい「ぽっちゃりさん」用のお寝間着って。
ラインナップが余りなくて…
着心地がよくてカワイイ品って本当に限られている気がします。

だから、気に入ったネグリジェやパジャマは色違いで何枚も同じものを買ったりはするかな。

身体が利かない穂花はお寝間着を汚す場面も多いから。
一般の方に比べてどうしても枚数が必要になるので…
必需品としてのナイティを購入するのに相当お金がかかる実態があり、
それ以外の着るものを買う余裕というのはないという厳しい現実もあります。

だとしてもレンタルのお寝間着を利用するよりは費用を抑えられるし。
入院中は気分も下がるから、せめて好きな寝間着くらい着せてね。
そう思っています。

話が脱線しちゃったじゃん。

最近よく耳にするミニマリストというのは本来。
断捨離が趣味の方を指す語ではありません。

ミニマリストは最小限綱領派という和訳が妥当。
かつてのロシア革命社会において、最低限の政治要求しか持たなかった一派を指します。

政治のことはよくわかりませんが。
確かに要求が少なければそれだけ煩悩にも苛まれないのは事実でしょう。
欲望を断捨離すれば欲しいものを手に入れられないという悩みも少なくなるでしょう。

着るものを処分するのに並行して、穂花は人間関係も断捨離しまくりました。

もともと人嫌いを公言していたほどの穂花でした。
もちろん、大人になったらそう言ってばかりもいられず、
仕事、そして社会生活に必要な最低限の協調性くらいは身に着けました。

ただ、大人の責任としての協調性を培う間には。

同時に自分の思うことをはっきり言わない、
相手との関係に波風を立てるのを避けるべく自分の意見は飲み込む…

そんな癖も併せて憶えてしまいがちになりました。

あるところまではそれでも自分を誤魔化してこられました。

しかし、いつの間にか穂花は自分の想いを殺し過ぎて、
自分の本当に望むところを見失ってしまっていました。

穂花は自分の想いを抑え過ぎて、自分の願いを後回しにし過ぎて…
気が付いたら心身ともにボロボロになっていました。

穂花にとって「いい人」でありたいという想いは。
よくよく気が付けば単なる保身でしかありませんでした…

壊れ切ってしまって、ようやくその事実に気づくことができました。

今はすでにボロボロです。
でも、まだかろうじて生きてはいるから…間に合います。

他人との付き合いも個人差の大きいところ。
人によって得意下手はあるでしょう。

穂花はそもそも人嫌いで、他人との付き合いも巧くはないのだから。
他者とうまく交われない自分を「もういいや」と受け止めることにしました。

自分が心身ともに病んでいる時はまた、失言や暴言も多くなりがちです。

穂花が自分ひとり落ち込んで腐っているんならまだしも、
自分の不愉快な感情に他人を巻き込んでいい訳では決していいという理由にはなりません。

そう考えた時に。
日本においては「友達がいない、若しくは少ない」という事実は、
変な人という評価こそなされてもいい評価には結びつくことは殆んどないけれども。

別に変わり者だと後ろ指を指されたからって死ぬわけじゃなし。
悪い評価そのものだけでは痛くも痒くもないので、人間関係も最低限に抑えました。

もちろん…これまでそれなりにお付き合い頂いた方に対しては。
非礼無礼をお詫びしながらも、自身の考えをきちんと述べました。

今後は交流を控えるとはっきりお伝えすることは、
例えば、懇意にしていた男性との別れ話を展開するのと同じくらいのストレスや痛みを伴いました。

ということで…今になったからお話できるのですが。

お付き合いを控えさせていただくことに決めた方のうち、
穂花の気持ちをお伝えしたところ、数人からはあり得ないレベルの非難を頂戴しました。
中にはストーカー化されたケースもあって、警察に相談したことも。

ある程度までは想定のうちでしたが。
一通りのことを終えたあと、疲れ切った穂花は脳梗塞を再燃させて倒れて。

さらにボロボロになって現在に至っています。

でも…人間関係ってそもそも重たいものだから。
ある程度苦痛を伴うほうがむしろ当たり前だとも考えています。

あなたとは今後お付き合いしない、そう伝えるのになんら心が痛まなかったら。
相手との関係はそもそもが空っぽに近かったのです。

そんな今、穂花が病床で考えるのは。
物質的に豊かになること、人間関係に恵まれることは、
いわゆる「勝ち組」たる証明の一種であり、人としての幸せの一面ですが。

自分の能力を超えて持ち過ぎることは苦痛をも伴うんだなあという点。

思えば…穂花は子どもの時からお片付けが苦手でした。

モノが増えれば同時に本当に必要なものが見つからずに、
探して探してそれでも見つからなくて…小学校の始業時間によく遅刻する穂花でした。

現在だって決して整理整頓が得意になったわけではないです。
それでもモノを減らしたから、かつてよりは自宅が汚部屋化しなくなったというだけ(苦笑)。

同じように…子どもの時から他人と交わるのが苦手で、
人付き合いも巧くはない穂花です。

無理してお付き合いさせていただいたとしても、
自閉傾向の強い穂花自身の不用意な言動で相手の方も傷つけてしまうし、
自身も疲弊しまくって混乱するだけだから。

特に体調が優れなくて、自分の心にも余裕がない時には。
最低限のことだけをきちんとこなそうと思っています。

他人に過剰に要求せず、欲望を巧く手放して。
欲望を手放すことを通して悩みも断捨離できればと願っています。

前田穂花