息苦しくなる出来事が世の中に溢れている。
今年3月2日、本来なら一番自分を守ってくれるはずの両親からの虐待によって、
僅か五年の生涯を閉じた船戸結愛ちゃんの言葉。
「じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください」
(6月9日付毎日新聞より抜粋・以下同じ)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180609-00000032-mai-soci
家庭のなかで最も無力な立ち位置にある子どもを虐待するなど言語道断。
虐待を経験した当事者として許すことができない。
ただ…自身が当事者だからこそ。
この鬼みたいな両親を、しかしただ糾弾すればいいとは思えない私がいる。
※この点については…対価を頂く仕事としてライティングした過去記事が、
いろいろあります…
詳しくはそれら拙記事に譲るとして、ここでは割愛します。
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結愛ちゃんの絶望は計り知れないだろう。
それ以上は、所詮は他人でしかない私が、
結愛ちゃんが亡くなった今さら何か意見できるとも思えないので…
おとなのひとりとして助けられなかったことを、
天国の結愛ちゃんに詫びるだけの私に甘んじている。
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ライターの端くれとして思うことを敢えて申し上げる。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
これって…一般的な五歳児が口にする言葉じゃない印象を受けている。
五歳の子が果たして自らこういう言い回しを思いつくのかなと疑問に思う。
私の想像の域を超えないけれども…
これって…もしかしたら亡くなった結愛ちゃんの母親が…
この子にとっては継父にあたる夫に許しを乞うていた台詞なんだろうか。
だとすれば…余計に心が痛い。
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もし、娘の生命を奪ったこの母親も一緒に社会から救済されていたなら、
結愛ちゃんは生命を落とす結果に至っていなかった可能性も考えられるだろう。
目黒区はDV支援が進んでいて福祉も手厚い場所だと私はこれまで考えていた。
実際に救済されたケースも二例身近に知っていた。
救済された一例については非正規雇用という身分ながらも、
自身の就労による賃金で生活を立て直して立派に生き抜いている人だよ。
もうひとりの人も…暴力から逃れて、
暴力によって彼女は重篤な障害こそ負ってしまったけれど。
それでも心身の治療に尽力しつつ、懸命に自身の人生を模索されているし。
だからこそ…その目黒区内で。
生命を落とす被害者がしかも五歳の幼い子どもだった事実に、
私はもう何も言えなくなってしまってる。
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母親だけに支援を要するわけではないだろう。
五歳の子に暴力を振るうことでしか自身の力を確認できなかった継父についても…
適切な支援や教育が必要だったに違いない。
無力な五歳児に自分の感情のみで暴力を振るうことに躊躇いがない成人男性が、
この社会に真の意味での「居場所」があったとは私には到底思えないから。
今回、結果的には一番非力だった結愛ちゃんが犠牲になってしまったけれども。
結愛ちゃんがこの世に生を受ける以前に。
――我が子に手を下すことになった両親が実は社会から手を下され、
見捨てられ切り離されてしまっていた。
このような想像は私でなくても容易に浮かんでくるところだろう。
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あるいは…こんな言葉も結愛ちゃんが遺していた。
「ぜったいのぜったいおやくそく あしたのあさはきょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたは ぜったいやるんだぞとおもっていっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞというきもちで やるぞ」
実は…似た台詞を私はステップファミリーのパパに、毎日電話で語っている。
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「今日はうまくできなかった穂花だけれども、
明日こそ絶対きちんとやり遂げてみせます。
パパにきちんと結果を見せられるように、一生懸命がんばります」
わが家には「ママ」に相当する人物が存在しないので…
私は「パパ」に毎日そう約束しているんだけれど。
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五歳児の言葉が五十歳の私の言葉とほぼ同じ内容なことに…
私は涙が抑えられなかった。
この一言も…ほぼ間違いなく。
結愛ちゃんの本心からの台詞ではないだろうと私は感じてしまう。
弱い立場の人間は見殺しにしがちな社会に対する命乞い。
そう感じてしまう私がいる、心が痛い。
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加えて、面倒なことには見て見ぬふりをしてしまう私たちだ。
大変な状況に気づいていたとしても、自分は関係ないと思って見過ごして…
懸命に社会でのポジションを保たないと今度は自分が殺されそうだよ。
あの子は殺されそうだ、あの人は死んでしまいそうだ。
気付いたとしても…私を含めて誰が自分の手を汚してまで救えるのかな。
自分のリスクを冒してまで救えるのかな。
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役所なり専門家なりがきちんと介入して早く助かればいいな。
私を含む大多数はそう考えて見ていない振り、傍観者に徹する。
自分までが巻き込まれて社会から抹消されたらとんでもないよ。
そんな傍観者に生命を奪われる「結愛ちゃん」が…
本当は…この社会に何万人も息苦しく喘ぎ続けているんだろう。
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もっと申し上げます。
正直に言うなら…
健気な障害者を装っていないと生きられない。
そんな想いが常に私の心にある。
弱者に厳しい社会だから、
どうにか生き延びられるように、私は健気な障害者の振りをして、
矛先が自分に向かないように命乞いしている。
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そういう感覚が常に自分に付きまとってはなれない。
私についていえば本当はパパに訴えているのではない…
うまく生きられない自分を鼓舞しているとともに。
「平等」と「弱肉強食」とのダブルスタンダードが幅を利かす、
この許容性のない現代社会に対して。
――重い障害を負っていて生産性が低い私だけれども、
精一杯がんばるので許してくださいと日々乞うているのだ。
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そう捉えた時、結愛ちゃんのこの痛々しい社会への命乞いが、
しかし実を結ばず、無念のなかに生命を落としたことに対して。
涙を流すことしかできない私自身を責めている。
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船戸結愛ちゃんのご冥福を心からお祈りします。
前田穂花
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