穂花より一つ上の世代の重度の障害者の方は。

口々に「生きるのは命がけだった」そうおっしゃいます。
開口一番「地域生活は常に闘いの連続だった」そうおっしゃられます。

ハンディキャップをお持ちの(穂花より)上の世代の方々の。
苦しみの涙と、侮蔑や差別に対する怒りの感情。
そしてたゆまぬ努力の結晶として…

現行の障害者福祉の施策が日本に実現したのだと思います…。
最重度の障害者のひとりとして穂花はうれしく思っています。
深く感謝申し上げます。

でもね。
高齢障害者の皆様が「そういうこと」を今さらながらおっしゃられたって…
正直…穂花はすでに「お腹いっぱい」なんだよね。

確かに。
穂花が子どもの時は車椅子ユーザーが地域で暮らす前提など、
この社会には全くありませんでした。

穂花が子どもだった昭和四十年代。
障害者は「コロニー」と呼ばれる大規模な収容(当時は「入所」とは言わなかった)施設で、
保護(事実上の隔離)されることこそ「幸せ」だとされていたから。

街で車椅子ユーザーが自走している姿を指さして。

どこかの子連れママが「○○ちゃん、きちんとお勉強しないと…
神様の罰が当たって“あんな”になるのよ」

障害者はそれほどまで社会から「疎ましがられる存在」でしかありませんでした。

ちなみに穂花自身は人生の半分以上を(精神科)病院で過ごしています。
重度重複障害者を「収容する」専門の国立療養所の生活も、
自ら望まざるして一年ほど経験しました。

当時、障害者が施設を離れ、地域で当たり前に暮らそうと考えることは。
即ち野垂れ死にを覚悟したと見做されていたほどでした。

障害者の先輩各位が、この優しくない社会に風穴を開けてくれた実績に対しては。
本当にありがとうと申し上げたい穂花ですが。

だからといって、令和に御代変わりした現在も。
障害者が地域で自力で「ごく普通の」日常生活を成り立たせるのなんて…

野垂れ死にの派生形としての「孤独死」を常に意識しての、
いわば「綱渡り」なんだから。

確かに上の世代の方の闘いのおかげで、福祉制度の充実は世界水準の日本です。

でも、社会の本質は五十年前と何ひとつ変わっていないのだから。
ひとがパンのみでは生きられないように、
障害者もまた「制度」だけでは生きられない存在なのだから。

制度はあっても使えなければ存在しないに等しいのだから。

あなたたちの(健常者の言葉を借りれば)我儘によって、
制度は急ピッチで改革の方向に向かったのは事実ですが。

あなたたちのともすれば「障害者だから何をしても許される」
「今は必要ない補装具や生活用具、支援や扶助だけど、
受給しないと利用しないと損をするから」

あなたがたのそういう自分中心の考えが、
今ブーメランに変わって、穂花より若い障害当事者を、
ひたすら困窮させ、非難や侮辱、偏見の目に晒す結果に至っています。

お願いします、
障害者ワールドでの老害にならぬよう、自慢話は少し控えてください。

私たち下の世代の障害当事者も日々必死で生きています。

穂花自身…車椅子に乗ってて、且つ、発達の遅れを抱える自分が…
ほんの十年前にはまだ、
現在の「完全自立生活を実現できる」とは思えてなかったくらいだから。

重い障害を負って疎ましがられつつも、
生きるしか選択肢の無い穂花は常に命がけ。

全身全霊を以てこの優しくない社会に対峙しつつ喘ぎ続けてるから。

前田 穂花